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About the man called Narikichi ...
ここで洛東UNDERGROUNDと密接な関わりを持つある人物について触れておきたい。その名を木村成吉。正しくは“シゲヨシ”なのだが彼を知るものは一様に“ナリキチ”と呼ぶ。1961年3月6日生。細かい経緯は不明だが中学時代ビートルズと出会い彼の音楽的方向性は決定された。また中学時代彼は橋本と出会いビートルズを宣教する。残念ながら当時の活動の記録は残されていないが成吉・橋本はもう一人大野という人物と三人でビートルズを聴き、語り、それに飽きたらず自作曲作りまでも始めていたようである。

中学卒業後成吉はあの印象的な「ビーナス・アンド・マース」(ポール・マッカートニー&ウイングスの名盤)のステッカーをノートに貼っている男に出会った。それが山口で、その縁で橋本・山口が出会うことになる。実際二人が洛東UNDERGROUND結成に向けて動き始めたとき最初に声を掛けた相手も成吉だった。しかし成吉は参加しなかった(もし彼が参加していたら全く違った展開になったかも知れない)。彼が参加しなかった理由として“橋本・山口が意気投合しているのがおもしろくなかったから”という説もあるが事実は定かではない。だが彼は洛東UNDERGROUNDのセッションに頻繁に顔を出している。

山口の結婚式の日、成吉と橋本は元パープルヘイズのベーシスト、上南雅博に出会う。意気投合した3人は山口も加えて新バンドを結成した。それが成吉Communication Clubであり数々の名曲、名演を残す。だが彼は途中バンドを抜けてしまう(当時山口との確執が原因だと噂された)。オーストラリアを旅したたのち帰国、北海道を始め各地を転々とした彼は静岡県掛川に落ち着きそこで英国人ヒューとのコラボレーションを試みた。現在は真理子夫人と結婚、甲子園に住んでいる。

彼が残した作品には次のものがある。
“Performed By HUGH/NARIKICHI Project” 『ヒュー/成吉プロジェクト』
英国人ヒューとのコラボレーション集。名曲と言われる「エイント・ガット・ノーウェア」「ホモサピエンス」、日本語で歌われる「貴方は」などを収録
“Shige's Songs” 『Shige’s Songs』
『SHIGE'S SONGS』 ジャケット写真アコースティックギター一本で自作曲を歌い綴る伝説的作品。成吉Communication Club 時代の「ファウンテン・ブルース」「ノー・マター・ハウ・アイ・トライ」、山口が作詞を担当した「ウィズ・ア・リトル・ライフ」、前述の「エイント・ガット・ノーウェア」、さらに彼の最高傑作とも言われる「ひとりだけのクリスマス」などを収録。テンションの高い状態の時に一気に録音されたというみずみずしさが印象深い
“West Of Central Park” 『ウエスト・オブ・セントラル・パーク』
“West Of Central Park” ジャケット写真「Shige’s Songs」のトラックに山口がギター、キーボード、ドラムスを重ねて再生した企画作品。「エイント・ガット・ノーウェア」「ノット・ゴーイン・フォー・サクセス」「ホワイ・ドゥ・アイ・ハブ・トゥ・ゲット・ディス・フィーリングス?」「マザーフッズ・ソー・ストロング」「ホエン・ユー・シー・ザ・ボム・オーバーヘッド」「デスティニィ」の6曲を収録。ちなみにタイトルは成吉の生家が中央公園の西側にあることから付けられたらしい

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