Members Profile
Akiyoshi Hashimoto
橋本 - 1977年そして2002年...1960年12月7日生。中学時代に木村成吉の影響でビートルズ(特にジョン・レノン)の魅力に取りつかれる。同時に曲作りも始め洛東UNDERGROUNDの結成に至る。RUGではリーダーであるとともにボーカルとリードギターを担当。ある日TVでフリートウッド・マックのライブを見てギタリスト、リンゼイ・バッキンガムのプレイに感銘を受け「アイム・ノット・アフレイド」を書き上げる。さらにある日UFOのビデオクリップで見たマイケル・シェンカーの衝撃的なギタープレイにより天の啓示を受ける。RUG解散後は回転速度を落としたUFOの楽曲からシェンカーのフレーズを徹底コピーするなどさらなるトレーニングを積み、伝説のハードロックバンド、フライング・アローを結成。一時北川バンドを結成しライブを行ったりもしたが、近年は木村成吉、上南雅博、山口とともに結成した成吉Communication Club で活躍した。
Makoto Morioka
森岡 - 1977年そして2002年...1960年10月27日生。小さいときからTVで放映されていたドラマ(「コンバット」「ラット・パトロール」など)の影響を受け過激派であった。小学校時代の友人、山口に再会し洛東UNDERGROUNDに参加。RUGではボーカル、ギター、ハープ、各種ノイズを担当。人は見掛けによらぬもので熱心なクリスチャンであり教会の聖歌で鍛えたボーカルはピカ一であった。RUG参加後本格的に始めたギターもすぐに弾きこなすようになり、さらに曲作りにもチャレンジ。映画好きで欧米の映画音楽に明るいことが影響したのか一種独特の作品を書き上げ、そのサウンドは当時住んでいた地名にちなんで “堅田サウンド” と絶賛された。RUG解散後は音楽活動からは身を引いたかに見えたが、橋本・山口が参加していた成吉Communication Club のファーストアルバムのレコーディングにゲスト参加、今も教会通いはかかさない。
Toru Yamaguti
山口 - 1977年そして2002年...1961年3月27日生。小学校3年生の時森岡と出会い人生観が変わったという。中学時代ポール・マッカートニー&ウイングスの「ジェット」という曲を聴いてポップスにはまり込んだ。やはりポールの信奉者であった木村成吉を通じて橋本と出会い洛東UNDERGROUNDの結成に走る。RUGではボーカル、ギター、キーボードを担当(もっともキーボードはたまたま家にピアノがあったために結成後から始めた)。熱狂的なヒットチャート愛好家でジャンルにこだわらず様々な音楽を聴くのが趣味でその影響が自作曲にも表れている。RUG解散後はソロで録音を行った他、橋本とともに成吉Communication Club に参画した。近年はRUGのアンソロジーを編纂したり、古い音源に新しい音を加えてリメイクしたり、と師と仰ぐジェフ・リン(ELO)のようなサウンドクリエータ的活動が中心。
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