Early 1977 Continue ...
The KATATA Sound Was Born ...
1977年中盤。ファーストアルバム収録予定曲が徐々に揃いつつあった。そんなある日突然、森岡が新曲を発表。その名も“Jail Breaker”「ジャイル・ブレイカー」。橋本は語る。「森岡がこの曲を歌い切った直後、大きな拍手が沸くまでしばしの沈黙がその場を支配した。その沈黙の間、じわーっと胸にこみ上げてきたのは“感動”の二文字だった」... 以降決して多作ではなかったが森岡が生み出す楽曲は彼の住んでいた場所にちなみ“堅田サウンド”と称され、多くのファンに“感動”を与え続けたのである。以下に“堅田サウンド”全曲リストと山口による小論文を掲載する。

堅田サウンド全曲リスト
Jail Breaker (ジャイル・ブレイカー)
 ファースト・アルバムに収録。一人の囚人の物語。ストーリー性の高い歌詞と哀愁のメロディが心を打つ
I Wonder I Want (アイ・ワンダー・アイ・ウォント)
 セカンド・アルバム収録。パンチの効いた曲調が素晴らしい。哀愁味を帯びた作品だけが“堅田サウンド”ではないのだ
Tower Keeper (タワー・キーパー)
 サード・アルバム収録。成田空港抗争をテーマにしたハードな歌詞とやたらポップな曲調のアンバランスが感動を呼ぶ
Lonely Melody (哀愁のメロディ)
 サード・アルバム収録。映画「哀愁の花びら」の主題曲とそっくりや!と本人が言うアコースティックなインスト曲
 「ジャイル・・・」に通じる魅力を持った名曲だ
Kid Is Wind Child (子供は風の子)
 洛東解放戦線「ONE DAY...」収録。「アイ・ワンダー・・・」同様のパンチの効いた曲調。また何よりもタイトルがおもしろい
Still Away V (歩き続けた道・第三楽章)
 噂の未発表作だったが「アンソロジー」で初めて登場。作詞は山口でRUG解散に寄せて書かれた組曲の一部
 滝廉太郎を連想させる摩訶不思議な曲調が印象的だ


※ここには洛東解放戦線名義で発表された山口との共作曲は含めていない
 また「イン・マイ・ライフ パート2」という曲があるという噂が流れていたが未だ未発表である


「考察:“堅田サウンド”とは何か?」 By T.Yamaguti
そもそも“堅田サウンド”とは何か? 以下に簡単ではあるがその考察を行う。

■簡潔明瞭な歌詞
“堅田サウンド”を語る上で重要な要素のひとつにその歌詞が挙げられる。具体例を示すために代表作「ジャイル・ブレイカー」のリフレインを紹介する。“Police bring me to bay, They are gonna kill me soon. I must wait for the death like a bear at bay.”... 訳すれば次のようになる。“警察は俺を追いつめ、もうすぐ俺を殺すだろう。俺は死を待つしかない。追いつめられた熊のように”... 果たしてこれ以外の訳し方があるであろうか? また重要なポイントとしてあるインタビューに答える森岡のコメントを記す。「中学生程度の英語力でも理解できる英文を書く、それが歌詞を書く時俺が最も重視していることだ」... かくして少し英語が判る人なら誰でも森岡が描く独特の世界をイメージしながら曲に入っていける。この簡潔明瞭な歌詞が実は“堅田サウンド”を語る上での重要な鍵となっているのだ。

■ビジュアルなサウンド
森岡は誰の影響か定かではないが小学生時代から無数の映画を見て成長してきた。本人は明らかにしないが、彼が作り出すメロディには映画音楽の影響が大きい、と言っても間違いではないだろう。映画音楽。これは必ずしもテーマソングとイコールではない。場面、場面に応じたちょっとしたBGMもまた映画音楽である。すなわち“堅田サウンド”にもまた場面に応じたメロディが添えられている。再び「ジャイル・ブレイカー」を引き合いに出してみよう。暗い森の中を息を切らしながら、時に倒れそうになりながら走り抜ける囚人の映像。画面が一瞬パンし映し出す、大勢の警官や警察犬の映像。あの哀愁のメロディはこういった印象的なシーンとぴったりだ。またかの成田紛争を描いた「タワーキーパー」のポップなメロディは楽しそうに火炎瓶を投げる過激派達の姿を鮮明に映し出す。ビジュアルなサウンドもまた“堅田サウンド”を語る上で忘れてはならない要素である。

■滋賀県大津市堅田
そもそも“堅田”とは何か? これは森岡がRUG在籍当時住んでいた町の名前であり、この町は琵琶湖の西側にある。ここは元々からのどかなところで、後に宅地造成されベッドタウンとなった(そのタイミングで森岡一家はここに移り住んだ模様)。だが当時は相変わらずのどかで、あまり人が多いと思えない不思議な町だった。少し丘になった位置から東側を見れば琵琶湖が展望できる。なかなか言葉ではうまく表現できないが、その風景を目にすれば“堅田サウンド”を瞬時に理解することができるに違いない。尚、かの地、堅田には今も熱心なRUGファンが巡礼していると聞く...。

以上、“堅田サウンド”とは何か?についていろいろと私見を述べてきた。だが最後に最も重要な点について触れておく。“堅田サウンド”とは単なる曲風を説明する言葉ではない。それは森岡自身、および彼の思想を指す言葉である...。
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